海外の書籍が日本語で発売される際、どういったフローで、誰が翻訳して、どうやって書店に並べるかを知っている人はあまり多くないと思います。今回は2014年1月24日に発売された『起業家はどこで選択を誤るのか』を翻訳されたスカイライトコンサルティング株式会社の小川育男さんに原書との出会いから出版に至るまでのお話を寄稿頂きました。

小川育男
スカイライトコンサルティング株式会社所属。大阪大学基礎工学部生物工学科、同文学部哲学科卒。
株式会社電通国際情報サービスにて、システムエンジニアとして金融、流通サービス、広告などの企業を対象としたネットサービスや業務情報系システムの開発、ミドルウェアを中心とした要素技術や開発手法の研究開発などに従事。
スカイライトコンサルティングでは、新規ネットサービス事業のCTOやプロダクトマネジャーなどを期間限定で務めつつ、大企業にむけた事業企画立案・実行に関するコンサルティングを実施。
2007年から起業を前提としたビジネスプランコンテスト「起業チャレンジ」を主宰し、その受賞者を中心とした起業支援に携わっている。
ビジネス書の翻訳の裏側に迫る
書籍の翻訳と言ってもいろいろあります。村上春樹が訳す『グレート・ギャツビー』のような文芸書であれば、翻訳家の解釈をいれつつ、いかに他言語で原著の世界観を描き出すかということになるでしょうし、O'Reillyから出版されているような技術書の翻訳であれば、原著の文章を正確に誤解のないよう訳していくということが重視されるでしょう。ここではその中間くらい、ビジネス書の翻訳について書いていきます。ビジネス書は読みやすくないといけないと同時に、あまり解釈しすぎて原著のロジックを壊してもいけない。そういった意味で、文芸書と技術書の中間にあるといえると思います。
実際のケースとして、私が訳した『起業家はどこで選択を誤るのか』(原題:The Founder’s Dilemmas)を取り上げて、どんな風に訳していったかを説明していきます。もちろん、翻訳される方や出版社によってもやり方は違うと思いますので、あくまで一例として考えてください。
発売に至るまでのステップは次の通りでした。それぞれのステップでどんなことを考えていたかを中心に書いていこうと思います。
1. 翻訳権取得
2. 下訳からWORD校正
3. 初校
4. 再校と念校
5. タイトルと装丁
1. 翻訳権取得
外国の書籍を翻訳して出版するには、翻訳(出版)権というもの(略して「版権」とも言われる)を取得することが必要です。一般には、出版社の編集者が、エージェントから紹介されたり、国際書籍見本市(フランクフルト・ブックフェアが有名)などで見つけたりして翻訳出版の企画をします。出版社として翻訳することを決定すると、(著作権)エージェントと翻訳権の交渉に入ります。
私の場合は、AmazonからThe Founder’s Dilemmasをリコメンドされて読んでいました。あまりに面白いのに邦訳がまだなかったので、出版社に掛け合い、翻訳権の確認をしてもらったというのが始まりです。私の所属しているスカイライトコンサルティングは、英治出版のブックファンドという仕組みを使って翻訳書をだしてきました。今回もその流れで英治出版にお願いしています。

この時点では、翻訳権はまだ他の出版社に取得されてはいませんでした。最近は、人気が出そうなものがあれば原著の出版前から翻訳権の取得に日本の出版社が動くことも多いそうです。The Founder’s Dilemmasは米国ではかなり有名な起業家講座でもあったことを考えると、原著2012年3月発売のものが、私が翻訳権取得をお願いした2013年2月まで他に取得されていなかったのはラッキーでした。
翻訳権が空いていることが確認できたので、エージェントとの交渉に入ります。大きくは、アドバンスと呼ばれる前払金の金額と原著者に支払う印税の率の交渉となります。これも人気がある書籍だと、複数出版社でのコンペになったりして、アドバンスがかなり高騰したりすることもあるようです。エージェントは原著者(権利者)の代理人ですから、原著者がどういうスタンスかによっても交渉は違ってきます。今回はかなりスムーズに交渉が進みました。ちなみに、紙の書籍と電子書籍の翻訳権は別の交渉になります。従って、印税率も違ったりします。今回は、電子書籍でも出したかったので、そちらの取得も一緒にお願いしました。
翻訳権が取得できれば、次はいよいよ翻訳の開始です。
2. 下訳からWORD校正
私は翻訳の専門家ではありません。なので、英語から日本語への翻訳をゼロから行うのは時間的にも品質的にも現実的ではないです。そのことは出版社の方もよくご存知でしたので、まず英語から日本語に訳していただく下訳の方をお願いしました。
じゃあ、その人が全部訳せば私は要らないのでは?と思いませんでしたか。あるいは、私が翻訳したのではなく、下訳の方が翻訳したのでは?と。その疑問に答えるためにも私がどんなことを考え、翻訳作業をしていったかを書こうと思います。
WORD校正という聞き慣れない言葉を書きました。おそらく一般用語ではないと思います。私は翻訳作業はすべて電子ファイルでやっていくのだと思いこんでいたのですが、実は、初校以降は紙にペンで修正をしていくという作業でした。その理由には次回触れようと思いますが、ともかく初校以降は紙なので、電子ファイルで作業を行うのは、下訳があがってきて初校にする前のタイミングだけなのです。下訳があるので、その修正を「校正」と呼び、修正履歴の残しやすいWORDで作業するので、WORD校正と呼んでいます。
実際にやった作業は、ほぼ文単位に、
1)下訳を読む
2)原文を読む
3)もういちど下訳を読む
4)修正する
ということの繰り返しです。3の時点で違和感がなければスルー。ひっかかりがあれば、何がおかしいのかを考えて修正をしていきます。その際に、特に注意を向けていたことは大きく3つ。1つ目は、単語の訳が不自然でないか、統一感があるかということ。2つ目は、文単位で見たときに誤訳がないか、3つ目は文が冗長ではないか、ということでした。それぞれ見てみましょう。
■単語の訳が不自然でないか
分かりやすいところだと、法律用語やビジネス用語、統計用語などの定訳があるような単語です。もちろん定訳がない場合も多いですが、なぜその単語をそう訳したのかということに、ある程度、理由がつけられた方が望ましいと思います。
たとえば、”equity”という単語。これは使っていたロングマン英和辞典だと、「株式」や「純資産額」となっています。しかし「株式」と訳してしまうと “equity split” とかは「株式分割」となりますが、実は日本語でよく使われる「株式分割」とは意味が違います。また、この単語は全編を通してのキータームでもあるため、結局「エクイティ」とカタカナで統一してしまいました(詳しくは訳注として書きましたので書籍をご覧下さい)。
また、英語特有の言い換えの多用への対処もあります。明らかに同じ意味のことを指しているのですが、表現を変えるという英語の癖です。たとえば、”make the leap”や”found a startup”、”become a founder”など、全部「起業する」あるいは「創業する」を言い換えている表現です。直訳すると、「飛躍する」「スタートアップを創業する」「ファウンダーになる」となって、かなり不自然な日本語になってしまいます。それらをどう統一するか、あるいは、統一しないかということを考えながらチェックしていきました。
■文単位で見たときに誤訳がないか

代名詞や関係代名詞が指すものの違いや前置詞、接続詞の適用範囲の解釈の違いで意味が変わってきてしまうという文があります。どうも前後の文と整合性が合わなかったり、唐突感のある一文が入ってたりすると、そういう誤りであることが多いようです。原文自体が曖昧だと翻訳時の解釈の余地も残るので、明確に誤訳だとは言い難いものもあり、そういった文はまさにテーマに関する周辺知識や常識等が問われてくる箇所だといえます。
厳密に言えば誤訳とは言わないかもしれませんが、日本語として不自然というのもあります。特に動詞の場合、単語の訳語が不自然なせいで文がおかしくなったり、英語を後から訳していくことで日本語として読みにくい文章になってしまったりします。
ひとつだけ例を挙げましょう。
"Jobs and Wozniak were best friends first before becoming cofounders; their friendship hindered their ability to avoid conflicts in advance or at least to resolve them before they became unresolvable and the friendship itself became damaged beyond repair. "
この最後の部分、before A and B となっている箇所で、Bをbeforeに入れるかどうかで表現が変わります。つまり、
1) 衝突が解消不能になって、友情そのものが修復不可能なほど損なわれるまえに対処することができなかった。
2) 衝突が解消不能になる前に対処することができなかった。結果、友情そのものが修復不可能なほどのダメージを受けることになった。
の2通りです。
文法的に言うと、もしかしたら1の方が正しいのかもしれません。ただ、ジョブズとウォズニアックが破局を向かえることは周知のことなので、意味的には2でもおかしくないですし、日本語的にはその方が読みやすくなると思います。念のため補足しておきますと、ジョブズとウォズニアックは、アップルの2人のファウンダー、スティーブ・ジョブズとスティーブ・ウォズニアックのことです。
■文が冗長ではないか
これも英語特有な表現で、主語や所有代名詞を必ず入れるということへの対処があります。正確に訳そうとするといちいち「彼」や「彼女」などの代名詞を入れなければならなくなりますが、日本語はそもそもあまり人称代名詞を使わない、特に三人称の代名詞は使わないことが多いと思います。
また、日本語は分かりきったことは文脈から読み取らせ、英語のようにいちいち書かないという特徴もあります。そのため、厳密に和訳するとかなり冗長で読み難くなってしまいます。とはいえ、省きすぎると不親切な文になってしまうことになります。どこまで省くかというのは、やはり解釈の余地の大きいところだと思います。
これも先の例でみてみましょう。最初の文章です。厳密に訳すと以下のようになります。
1) ジョブズとウォズニアックは、共同ファウンダーになる前にもともと親友同士だったが、その友情によって衝突を避けることもできず・・・
この一文だけが置かれていればこれでも良いかもしれません。あるいは、このあとの文が長いため「親友同士だった」で一度文を切るというのも良いでしょう。しかし、文脈的にジョブズとウォズニアックが共同ファウンダーであることは既に触れられているので、必要ないと解釈できます。つまり、
2) ジョブズとウォズニアックはもともと親友同士だったが、その友情によって衝突を避けることもできず・・・
この方が読みやすいのではないかと思います。
他にも気になることがあればネットで調べたり、引用文などは翻訳書をあたったりして、ひととおり修正をしていきます。実際には、私がひととおり終わった後にもうひとりの担当者が確認を行い、最後に私がそれを反映して、出版プロデューサー(本来、英治出版ではこう呼ばれますが、以下では一般的な表現を使い「編集者」とします)に渡すというプロセスを経ました。
さて、ここまで終わると、次は初校です。次回は、校正段階について詳しくお伝えします。
海外書籍の翻訳:『起業家はどこで選択を誤るのか』が出来るまで(中編)
Written by 小川育男
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